金雲のすき間

合戦図屏風より愛を込めて

『物語をえがく』展に行ってきました

昔よく近くを通って通勤していたのですが、中に入るのは初めての根津美術館。和風庭園がとにかく綺麗。時間があればカフェでゆっくりとお庭を眺めるのもよし。

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さて、目的は〝屏風〟です。
合戦図屏風だけじゃなかったの?と思われても仕方ないわけですが、最近特に屏風が表現するものにとても興味があります。いわゆる日本画の大きさではなく、一間近い大きさに様々な情報が同時に存在しているわけで、ただ鑑賞するだけではもったいない。もちろん美術的な鑑賞の仕方も好きですよ、うっとりと金雲眺めているのは心洗われます。小さな額の中ではない大きな画面で作者の発したかったことはなんなのだろうと考えるとわくわくします。特に日本画の贅沢な空間の取り方は、みっしりと細部まで描き込まれた洋画にはない独特の表現方法でその間に余裕を感じるものであります。

 

ここではなくトーハクで拝見した屏風は右隻には崖の上に羽根を広げる鵜、一方左隻は小さな飛ぶ鳥だけという圧倒的空間でしたが、二次元表現になりがちな日本画の中でもの凄い立体感を感じられました。美術は本当に素人でこれまで何も学んで来ませんでしたが(理系女子です)屏風にはなぜ心奪われるのでしょう。謎であります。

 

さて『物語をえがく』展です。
ー王朝文学からお伽草子までーということで古くは伊勢物語源氏物語墨画から絢爛豪華な着色まで。源氏物語は物語も長くそれぞれに見せ場となる場面があるのでそれを屏風にどう織り込んでいくのか、金雲による場面転換で贅沢に表現される平安絵巻はどのようは御屋敷のどのようなお部屋に飾られていたのかなと気になるところであります。
絵巻も絵本のようで草書が読めなくとも絵だけで充分読み取れます。

 物語は、古くから絵に描かれ、楽しまれました。たとえば、伊勢物語の存在がはじめて文献城に知られるのは源氏物語のなかですが、そこにおいて伊勢物語はすでに絵巻として登場します。もちろん源氏物語も、成立後まもなく絵に描かれ始めたと考えられています。また、中世まではもっぱら絵巻や冊子、色紙と言った小画面に描かれた物語絵は、近世になると大画面の屏風にも描かれるようになり、物語が室内を彩りました。

 このたびの展覧会では、伊勢や源氏の王朝文学から平家物語、曾我物語、西行物語、そして酒呑童子をはじめとするお伽草子まで、さまざまな物語を描いた多彩な形式の絵画作品を集めます。晩秋のひとときを、物語と絵とともにお過ごしください。
(出品目録より) 

 楽しかったです。
ご興味のある方は是非に!

賤ヶ岳七本槍を合戦図屏風から考える

賤ヶ岳合戦図屏風も関ヶ原合戦図屏風同様に写しが多々有り、さらにちょっとずつ内容が違うという複雑怪奇な様相を呈しております。

屏風によって〝七本槍〟のメンツが違う。なぜなのか。

ということで、ちょっと賤ヶ岳合戦図屏風について調べてみました。

  

現存する賤ヶ岳合戦図屏風はというと 

大坂城天守閣 甲本
馬の博物館 大阪城甲本の写本
佐藤博物館 大阪城甲本の写本 

 

大阪城天守閣 乙本(甲本の簡略版)
市立長浜城歴史博物館 大阪城乙本と同系の写本
南蛮文化館 大阪城乙本と同系の写本
勝山城博物館 大阪城乙本と同系の写本 

 

岐阜県立博物館 独自の図様

 

岐阜県個人蔵 独自の図様

 この辺りのようです。

 

賤ヶ岳合戦での活躍により感状を授受した武将です。

福島正則
加藤清正
加藤嘉明
片桐且元
糟屋武則
脇坂安治
平野長泰
桜井佐吉
石河平助

九人いますが桜井と石河は討死しているので残る七人が〝七本槍〟とされています。

 

ところがです。

大阪城甲本 

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福島正則を除き、桜井佐吉を入れての七本槍となっています。
では正則どこにいるのかと探すと……

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もう既に一番槍の一仕事終えて武功の首持って秀吉様の下へと馳せ参じているところなのです。

 

対して、岐阜県立博物館

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桜井の代わりに福島が入っています。

 

なぜこのような齟齬が発生してしまったのか。

それは合戦図屏風の元ネタの違いからということのようです。
大阪城天守閣甲本は『川角太閤記』、岐阜本は『賤ヶ岳合戦記』を元に描かれていると言われています。

 

ちょっと七本槍から話がずれますが、

『川角太閤記』は紀州藩初代藩主徳川頼宣に仕官した川角三郎左衛門宗直が、主君の諮問に応えて提出した秀吉に関する聞書を元に成立した軍紀と推測される。この書は幕末に至るまで世に流布した形跡がないので、江戸時代前期に成立した大阪城甲本は、紀州徳川家の周辺で製作された可能性が高い。

高橋修編著(2004)『歴史群像シリーズ特別編集 決定版 図説・戦国合戦図屏風』学習研究社

屏風に描かれた内容から制作の推測まで進むのは驚きです。

 

本来九人が感状を授受するほどの活躍を見せた合戦ですから本来九本槍が正しいのかと思われますが、どうもこの屏風が制作された時代には〝七本槍〟が流行していたらしくよく見ると、岐阜本には柴田側の七本槍も書かれています。また、姉川合戦図屏風にも〝姉川七本槍〟が描かれており、もしかしてもしかすると〝七本槍〟は現代の◯◯レンジャー的な戦隊物の原型なのではないでしょうかね。

 

『春画展』見てきました

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先月になりますが、話題の『春画展』へ行ってきました。

ここに限らず平日の美術館や博物館へ行くとシルバー世代の方々が多いので驚きますが、みなさんお元気でいい老後をお過ごしです。そんな婆さんになりたいと常々思っている次第であります。

今回もたくさんのお年寄りに囲まれつつ春画を鑑賞してまいりました。

永青文庫ですからそれほど広い会場でもなくというかむしろ狭い。狭いところにもってきて見学者がひしめき合っているのでなかなかゆっくり鑑賞することも出来ず歯がゆい感じでありました。

むしろ永青文庫の建物の方に興味が行ってしまってキョロキョロそっちばかり眺めてしまいました。

もうね、春画は図録買って帰ってお家でゆっくり鑑賞しようという……

まあ仕方ないのかなぁという混雑ぶりでした。それでも鳥獣戯画展より遙かにマシでしたからね。いろいろ諦めました。

春画は芸術なのかわいせつ物なのか、という論争もあるようですが、私が感じたことはただ一言

〝日本人って昔から二次元好きだったんだね〟

ってことでしょうか。

「わいせつ物だ!」と目くじら立てて否定したり排斥するものではなく、日本のサブカル文化の源流として暖かく見守るものなのではないかと思うのです。心の余裕で楽しむのが筋なのではないでしょうかね。

〝戦国合戦図屏風〟研究の成り立ち

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『特別展 戦国合戦図 屏風の世界』(1997)和歌山県立博物館

これをずっと探していたのですよ。
いろいろな資料をみていると必ず参考文献に名前を見るのですが、実物がなかなか手に入らず……国会図書館のコピーしかないかなぁと思っていたら、オクに出品されました!なんとか落札して無事入手!

18年前なんて自分が〝合戦図屏風〟に興味を持つようになるなどと思いも寄らなかった頃なので当然この特別展は知る由もなかったわけですが〝合戦図屏風〟の研究に関して大変重要な特別展であったということをいろいろな資料を読みあさるうちに理解しました。

以下、図録からの引用。
戦国合戦図屏風の研究が進められた歴史となります。

歴史学の分野ではこれまで戦国合戦図屏風そのものの史料性を真剣に吟味してきたとは言い難い。歴史家が文献資料を引用し、まして図版まで掲載する場合には、当然その成立背景や伝来についての厳しい史料批判を前提とする。

合戦図屏風に描かれているものは必ずしも史実と一致しない事が多いですし、歴史学的には蚊帳の外だったのでしょう。

では絵画史の分野では、戦国合戦図屏風が正当に評価され、学問的に見当されてきただろうか。確かに絵画史の研究者は古くから戦国合戦図屏風の中に優れた作品があることに注目し、それらを桃山・江戸の絵画史の中に位置づけようとしてきた。しかし彼らが取り上げるのは決まって大阪市立博物館(2001年閉館)蔵(現:大阪歴史博物館所蔵)「関ヶ原合戦図屏風」や大阪城天守閣蔵「大坂夏の陣図屏風」といった際立った名品ばかりであり、戦国合戦図屏風を総体として把握し、群として検討しようとする視角を欠如してきたといわざるをえない。

どちらの合戦図屏風も重要文化財ですので納得です。

こうした状況の中で、先駆的業績として、まず評価されなければならないのは、大阪城天守閣で1979年に開催された特別展「戦国合戦図屏風」展であろう。そもそも戦国合戦図屏風という作品が群として世の中に存在すること自体、同展が世に示したと言っても過言ではない。

ここれが〝合戦図屏風〟研究の始まりという事らしい。

ついでこの展覧会の成果を発展させるかたちで、1980年『戦国合戦絵屏風集成』全六巻(中央公論社)が刊行された。屏風絵の細部までカラー図版で確認することが可能になったばかりではなく、歴史・絵画史の研究者がここの作品について考察した結果を持ち寄り、戦国合戦図屏風をめぐる学問的認識を一挙に高めている。またこれらの仕事に触発されるかたちで、全国で多くの戦国合戦図屏風が新たに発見されることにもなった。かつては二十件程度と把握されていた作品数も、今回の調査で七十件近くにまで増加している。

 『戦国合戦絵屏風集成』入手済です。35年も前の物ですが、資料として充分なボリュームです。たぶん現在の技術で再版していただけたらもっともっと綺麗な印刷になるのだろうな〜と思うので、所蔵など詳細な部分に変更は必要となるでしょうが是非是非お願いしたいところです。

そして、この図録の展覧会の意義として

この「戦国合戦図屏風の世界」展は、こうした先駆的な成果を継承・発展しようとする意図で企画された特別展である。 

 見たかったです、合戦図屏風の集大成のような展覧会。

 

この図録、屏風絵そのものの図版にまして、合戦図屏風の背景・解説も詳しく書かれ、読みごたえあります。

楽しいです、屏風♪
また合戦図屏風だけ集めた展覧会やって欲しいですわ。

『うらめしや〜 冥途のみやげ展』見て来ました

東京芸大美術館にて幽霊画堪能してきました。

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明治の噺家三遊亭圓朝菩提寺である谷中・全生庵に所蔵されている圓朝が蒐集した幽霊画コレクションの展示であります。

全生庵幽霊画は比較的に日本人の幽霊の典型を描いており、妖怪とまぎれるようなものもない。

 とのこと。

 

幽霊と妖怪は区別されるべきもので、幽霊は他界の存在、妖怪は異界の存在であり、妖怪が精霊信仰の産物であるのに対して幽霊は人間社会が生み出したもの。

 幽霊と妖怪は別物なのですね。なるほど覚えました。

「うらめしや〜」と言うくらいですから、幽霊は人間の感情としての<うらみ>の表現であることを考えるとなるほど妖怪はあれ人を驚かせて楽しんでいる感じがします。
ということで幽霊画はおどろおどろしいものから美人画まで幅が広く堪能して参りました。
『講談・四谷怪談』のビデオ上映もありました。もう少し大きな画面で見たかったですが、講談に興味を持ったので機会があったら生で拝聴したいものです。

図録となぜか妖怪本を購入して帰りました。

 

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『画鬼暁斎』見てきました

屏風好きから派生して最近とても日本画に興味が出てきました。
しかし自分で絵が描けるわけでもなく、理系の人なので過去に〝絵〟について勉強をしたこともなく、ただただ眺めて幸せになる程度であります。
日本画には色気があると思うのです。

と言うことで丸の内にある三菱一号館美術館へ行ってきました。

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鹿鳴館やこの三菱一号館を設計したのが暁斎の弟子となった英国建築家コンドルさん。
国が違えどお互いに尊敬し理解し合っていたからこそ生まれた作品も多く見応えがありました。

暁斎は妖怪や漫画的な絵を描くイメージが強かったですが、さすが狩野派仏画から動物画、風刺画や春画までこなす才能は時代の先をいっていたのだろうと展示を見ながら実感しました。
動物画と美人画が大変印象強かったですが、端から見て歩くとやはり妖怪は飛び抜けて好きです。形式に囚われず自由に楽しんで描いていたのだろうなとひしひしと……

暁斎をコンドル設計の三菱一号館(復元ですが)で見ること、というのが一つの達成感でもあると思います。

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資料追加

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だいぶ前になってしまいますが芸術新潮6月号。

関ヶ原合戦図屏風(津軽本)と大坂夏の陣図屏風が大変詳しく解説されています。 びよ〜〜んっと広げられるかなり大きめの屏風絵もあり ご興味のある方にはオススメ!

と思ったのですが、既に各方面品切れでした。 中古でもいいと思いますよ!!!