広島の旅 その2
二日目は2年ぶり5回目の宮島へ。
前日の土砂降りと打って変わって快晴。さすが厳島!
ただし、GWのど真ん中、観光客がものすごくて今までで一番混んでいる状態を経験。
宮尾城址・要害山
前回も行ってますから2回目であります。
ここは「要害山」の表記はあるけど「宮尾城址」である説明書きが見当たらなくて、せっかくなのにもったいないと思うのです。
「仁王門跡」仁王門っていうのは左右に仁王様がいる寺院の門だと認識しているのですだが、城の門に仁王門って名称あるのかな、ちょっと悩ましいのですがやはり説明書きがない。
宮尾城の堀切。
宮尾城は当時三方海に囲まれており水軍の運用も可能であったらしい。堀切というよりも海から荷物を運び上げるルートにみえないこともないです。
厳島合戦の地ですが、観光の中心はやはり厳島神社ですから戦国時代の史跡はおざなりなのかしら……とちょっともったいない。
どこも「跡」として石碑があるくらいの場所が多いのは戦国時代の史跡の特徴ではあります、400年以上前ですからね。
途中揚げもみじ饅頭やら牡蠣フライバーガーなどを食べ歩きながら厳島神社へと向かいます。
それにしてもさすがGW。人が多い、と思っていると……
未だかつてみたことのない『最後尾札』!!!
GWですからね、世界遺産ですしね……
厳島神社
どこを撮っても人が入ってしまうのは仕方ない。
前回、前々回ともに工事中だった反橋が完成しておりました。
重要文化財・反橋
天皇がご派遣になる勅使がご参拝の際にお渡りになったと伝えられることから、
別名、勅使橋とも言われる。
弘治三年(1557)毛利元就隆元父子によって再建されたものである。
重要文化財・豊国神社(千畳閣)
なぜか千畳閣を見たことがなかったので、念願叶っての豊国神社。
豊臣秀吉の命により安国寺恵瓊が建立した大経堂ですが、秀吉の死により工事が中断されたままの未完成で今日に至っています。
天井や壁板がなく柱だけの状態ですが、完成していたらどれだけ立派な建物になっていたのか想像がつきません。どんな天井絵が描かれたのだろか、秀吉好みの豪華絢爛な障壁画も入っただろうと考えるともったいない。完成したものが見たかったです。
床下は人が通れるほどの高さがあります。
千畳閣の隣りには色鮮やかな五重塔。
こちらは応永14年(1407年)建立。内部は未公開ですが、極彩色の観音像などが描かれているとのこと。見てみたいものです。
清盛神社
ぶらぶらと大鳥居を見ながら反対側へと足を伸ばすと清盛神社があります。
こちらの方まで来たことがなかったので、ちょっと新鮮。
清盛神社
御祭神 平清盛公
例祭日 三月三十日
御由緒 平清盛公没後七七〇年を期にその功績を顕彰し昭和二十九年三月翁神社から御祭神を還座創建された
この辺りでゆっくりまったりしていて、さてちょっと早いけど帰るかとフェリー乗り場へ向かうとかなり手前の辺りで謎の行列。まさかまさかと尋ねると「フェリーです」なんということでしょう……朝からの強風の為、一時的にフェリーが止まっていた為に発生した大行列。他に帰りの手段もなくただ諦めて行列の加わり、帰りの飛行機に間に合うかしらとドキドキしながら列が進むのに任せるのみ。
日頃の行いでしょうか、30分以上並びましたが、無事にフェリーに乗船し、広島駅にて解散となりました。
教訓・何事も余裕をもって行動しましょう!
よかったです。
ということで一泊二日広島旅行も楽しく終わりました。
何度行っても厳島はいいところであります。