金雲のすき間

合戦図屏風より愛を込めて

『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』を読みました

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歴史上で起こった様々な出来事を直接見た人はすでに亡く。後世に語り継がれるのは勝者の歴史であることはわりと容易に想像がつきます。

残された書状からいかに実際に起こったことに近づくか、それが歴史を紐解く研究者のお仕事でもあり、楽しみでもあるわけです。

現代を生きる私たちでさえ、例えばTwitterの140字のツイートであっても読み手によって捉え方が異なることが発生することもあります。それが誤解を産んで大炎上などということも日常茶飯事だったりするわけです。となれば、400年以上大昔の要件だけ書かれた書状からどこまで現実にたどり着けるのか、大変難しいことだと十分理解できます。それをさらに難しくしているのが、後日書き記された軍記物などのいわゆる『読み物』。付け加えられる様々なエピソードで『読み物』は現実よりドラマチックに展開されリアリティをますことになります。その『読み物』をより解りやすく視覚的に表現され残されたものが『合戦図屏風』です。屏風一枚の中に『読み物』の中から印象深いエピソードを並べ屏風はより迫力のあるものとなっていきます。

最近は歴史上の書状の解読が進み、過去私たちが信じていた歴史上のエピソードが「実は違う」というニュースを目にすることも多くなってきました。それを知ってがっかりするのか、そうだったのか!と感心するのか、それは受け取り手次第と思います。

過去伝えられてきたことが「間違った事実」であると落胆し、頭の中の情報を上書きする必要はないと思っています。“諸説あります”必ず注意書きのように付け加えられる言葉です。諸説あるうちの一つの説であることは間違いないことです。それイコール絶対的な事実というわけでもありません。でも知識欲に忠実であればあるほど「この書状はこう読める」「書かれていることはこの時代以降に付け加えられたと考えられる」という解読にワクワクするのも間違いありません。現代を生きる私たちの誰も関ヶ原合戦を見たことはないのです。残された様々な史料から推測するしかないのなら、どの説がより真実に近いのか。読み比べて楽しんだ者勝ちと思うことしきりです。

関ヶ原合戦図屏風はかなりの数が残されていますが、そのほとんどが江戸時代後期の幕末に『関ヶ原軍記大成』という軍記物をベースに描かれています。百聞は一見にしかずと言われるように『屏風』という形で残されているとそれが真実のように錯覚しがちですが、さてさて実際はどうなのでしょう。ただ一双、合戦直後に描かれた大阪城天守閣所蔵の関ヶ原合戦図屏風には関ヶ原での合戦ど真ん中の描写がありません。その部分の屏風が欠損しているのか、初めからなかったのか、それを知るのも過去の史料に頼るしかないわけです。

っていうようなことを考えながら読み進めると、なるほどと思うことも多くありました。

帯にありますように

石田三成は西軍の首謀者ではなかった

・家康は関ヶ原で指揮をとっていなかった

小早川秀秋は急に寝返ったわけではなかった

・“決戦”の前日に西軍は降参していた

最近は白峰説など、私たちが慣れ親しんだ『関ヶ原』のイメージがガラッと変わってきていますが、その“諸説”を柔軟に受け取ることができれば教科書にない日本史をもっともっと楽しめるだろうと思います。

歴史はカビの生えた過去のものではなくこれからもどんどん解明の進んでいく生きた学問なのではないでしょうか。

戦国史、楽しいですね!