合戦図屏風の位置づけ(覚え書き)
合戦図屏風の位置づけ
◆「屏風」として
十六世紀以降、書院造りの殿邸建築の本格化により屏風文化が発達。
襖絵・屏風絵が大作絵画の主流となり狩野派をはじめとする諸派が成立。
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多くの優れた屏風が制作される。
『花鳥図』『景物図』『山水図』『人物図』『物語図』『風俗図』
●絵画的分類
『風俗図』その時代の装束など詳細に描き込まれているー<洛中洛外図屏風>
『物語図』軍記物語の絵画化ー<源平合戦図屏風>
しかし<合戦図屏風>は政治的な意図が強く、制作を依頼した大名などが〝家〟の偉業として先祖の武功を描くことを主としているので、その時代の風俗を描くことや物語の忠実な絵画化を目的にしていない。独自の画題として考えるべき。
◆「絵巻」として
合戦の様子を伝える物として古くは絵巻や絵詞があったが、戦国合戦のような大規模な戦を表すには不向きだった。
それを克服したのが〝屏風〟である。巻物と違い縦にも図柄を大きく展開することができる。また一隻では描ける場面も限られるが一双となっれば合戦の始めから終わりまで描ける大きさとなる。
合戦の戦功を記録し後世へ伝える為の歴史絵画的な役割として〝屏風〟は一つの手段。
《描かれている合戦はどこまで正確なものなのか》
表具として見栄えがよいように風景や建物などを簡略化したり実際にないものを描き込んだりしている場合もあり、また制作主の意向で先祖の武功を強調してこともあるので必ずしも写実的な正確さを求めてはいけないともいえる。
しかし、屏風によっては兵の軍装や庶民の描かれ方は正確で当時の風俗的な資料として重要なものもある。
◆たくさんの合戦図屏風が描かれた意味
合戦図屏風の制作時期をみると、合戦終了直後に描かれた一部を除き、江戸時代後期に制作されているものが多い。
しかもオリジナルの屏風よりも圧倒的に写本が多く制作されている。
幕府と藩の関係を戦国時代まで遡って確認する意味もあったのではないだろうか。