豪徳寺へ行って来ました
戦国無双4−Ⅱ 井伊直政参戦記念に 井伊家菩提寺である世田谷区の豪徳寺へ行ってきました。
大きな字で書けませんが自宅より徒歩5分なのに 20年この地に住んでいて初めて行きました(ぉぃ
大谿山豪徳寺、かなり立派です。
松並木の参道を通り抜けると古い山門がありました。 残念ながら工事中で梯子が掛けてありいささか景観が悪いので 門上部をアップで。
いつ頃のものなのか、かなり古いです。 この辺は大正の震災やWW2の空襲も影響なかったはずなので 江戸時代の物が残っていてもおかしくありません。
さて、門をくぐると正面に仏殿。 手前の香炉が真新しくて浮いてますが立派です。 (なんか召喚されそうって思ったのは言わないでおく)
仏殿もかなり古い建物でした。 ガラスから覗いてみたのですが、中が暗くて仏像などが見えませんでした。 残念。 仏殿隣りの三重の塔。 これはちょっと新しめでしょうか。 梵鐘は直孝さんの時代のものとのこと。 井伊家といえば史実的には江戸時代の桜田門外ノ変に関わりがある 井伊直弼さんが有名です。 直弼さんのお墓だけ都の史跡に指定されてるんですね。 戦国好きからですと、直弼さんはいささか遠い。
豪徳寺が井伊家の菩提寺になった由縁のお話。 諸説ありますが、地元世田谷でよく聞くはなしは次のもの。
突然のにわか雨を避けるため、 直孝が一本の木の下で雨宿りをしていたところ、 近くの寺の軒下から一匹の白猫が手招きをする。 直孝が呼ばれるようにその猫のところまで進むと、 先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。 白猫によって落雷を避けられたことに 直孝は酷く感激して豪徳寺に多くの寄進をした。
井伊で白猫です。 おわかりいただけだろうか もう一度ごらんいただこう。 実は豪徳寺というのは彦根のひこにゃんの故郷となるのです。
招き猫伝説(wikiより) 豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、 招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く。 招猫殿の横には、願が成就したお礼として、 数多くの招福猫児が奉納されている。 ちなみに、招福猫児は右手を上げており、 小判などを持たない素朴な白い招き猫である。
これが「招猫殿」 この奥にたくさん奉納されている招福猫児 なお、ここ豪徳寺の招き猫は一般的な招き猫とちょっと違います。
招き猫は一般に右手若しくは左手を掲げているが、 豪徳寺の境内で販売されている招き猫は全部右手(右前足)を掲げ、小判を持っていない。 これは井伊家の菩提寺であることと関わりがあり、 武士にとって左手は不浄の手のためである。 そして小判をもっていない理由は 「招き猫は機会を与えてくれるが、結果(=この場合小判)までついてくるわけではなく、 機会を生かせるかは本人次第」 という考え方から。
井伊家家訓!!! 「機会を生かせるのは本人次第!」
さて、この豪徳寺。 本殿はおそらくものすごく近年に建て替えられたもよう。 お寺で綺麗な建物に出会うとがっかりしてしまう例のような気がして……
その隣りにある寺務所は趣のある古い建物でした。 墓地を奥へ進むとかなり広い井伊家の墓所があります。 二代藩主直孝さんからあとずらっと並んでおります。
都史跡となっております、井伊直弼さんのお墓。 世田谷の住宅地の高台に位置する豪徳寺は静かでいい環境にあります。
さて、その豪徳寺ですが 元々世田谷城の本丸があった辺りなのではないかといわれています。 このあたり住宅地なのにやけにアップダウンがあって なんでこんなところに土手???っていう状態の土塁が 団地の中を突き抜けていたりするのです。
塀の向こう、これ土塁ですよね?
ここも造成地の盛り土なのかと思っていたらどうも土塁のようです、奥の方にもちょっと高くなっているところありますがそこも同様。
ということで土塁と空堀しか残っていない北条時代の世田谷城祉
『城祉』っぽくするためか、石垣っぽく公園整備されています。
これがおそらく空堀 これは土塁かと お城に関しては知識が乏しいので専門の方にご教示お願いしたい次第です(´Д`)
ということで、徒歩5分の場所にありながら20年間行ったこと無かった 豪徳寺周辺を散策してきました。