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金雲のすき間

合戦図屏風より愛を込めて

日帰り大阪城! 〜櫓の内部公開見学他〜

博物館・美術館 史跡・旅 合戦図屏風・屏風

10月の連休で大阪城へ出陣しました。

 

大阪歴史博物館

目的はこれ

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東京会場は既に制覇済でしたが、大阪限定の展示も多くせっかくなので大阪城天守閣へも行きたい!!!とワクワク出かけていきました。

が!大阪会場でも『大坂夏の陣図屏風』の展示は複製でした……f:id:ujikintoki_byoubu:20161025111804j:plain

なぜこんなにピンボケなのだろうかと思いつつ真田丸展の源次郎さんにさよならしつつ、大阪城へと向かいます。

たまたまこの日は真田丸のイベントと重なっていましたので、おそらく通常よりも人出もあったのかと思われます。

 

大阪城

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大阪城初めて行きましたが、噂に聞いた高い石垣(高虎さんすごい)。これはおいそれと登れない。現在の大阪城は豊臣の築いたものではなく徳川が「秀吉のより大きくて立派なのにしてね」と頑張ったものなのでその大きさ広さは類を見ないもの。

 

 

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何より諸大名がこぞって供出した石垣用の石の大きさがハンパないです。大きさ比較に誰かに手前に立ってもらえばよかったです。

大手口枡形の巨石

 枡形とは城の重要な出入口に設けられた四角い区画のことで、敵の鍼灸を食い止める役目を果たした。築城技術の進歩にともなって強固な石造りのものがあらわれ、大阪城の大手口枡形では城の威容を誇示する巨石が数多く使用されている。大手門をくぐって正面に位置する大手見付石【おおてみつけいし】は、表面積が焼く29畳敷(47.98平方メートル)で城内第4位、左の大手二番石【おおてにばんいし】は約23畳敷(37.90平方メートル)で第5位、右の大手三番石【おおてさんばんいし】約22畳敷(35.8平方メートル)で第8位、いずれも採石地は瀬戸内海の小豆島【しょうどしま】と推定されている。現存する大阪城の遺構は豊臣時代のものではなく、元和6年(1620)から約10年にわたった徳川幕府再築工事によるもので、石垣は将軍の命令を受けた諸大名が分担して築いた。この個所は当初肥後熊本藩主加藤忠広【かとうただひろ】が築き、のちに筑後久留米藩有馬豊氏【ありまとようじ】が改築した。

当日は櫓が一般公開されており、『多聞櫓』『千貫櫓』『焔硝蔵』の内部を見学することができました。
(立て看板より)

 

 この巨石の左手にあるのが『多門櫓』

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 重要文化財・多門櫓

 大手口枡形【ますがた】の石垣の上に建つ櫓で、大門【おおもん】の上をまたぐ渡櫓【わたりやぐら】と、その右側に直角に折れて接続する続櫓【つづきやぐら】によって構成される。徳川幕府による大坂城再築工事により寛永5年(1628)に創建されたが、天明3年(1783)の落雷によって全焼し、嘉永元年(1848)に再建された。土塀や石垣上に築かれた長屋状の建物を一般に多聞(多門)と呼ぶが、その名称は戦国時代の武将松永久秀【まつながひさひで】が大和国(今の奈良県)の多聞城でこうした形式の櫓を初めて築いたことに由来するといわれる。現存する多聞櫓の中でもこの多聞櫓は最大規模で、高さは約14.7メートル、建築総面積は約710.25平方メートルある。渡櫓内部には70畳敷を最大とする部屋が4室、続櫓内部には廊下の他に9畳・12畳・15畳の部屋が計6室あって多数の兵や武器をたくわえることができ、枡形の内側に多くの窓があり、また大門をくぐる敵を真上から攻撃する「槍落とし」の装置が設けられるなど、高い防御能力を備えている。大阪城の二の丸には京橋口・玉造口にも多聞櫓があったが、現存するのはここだけである。

(立て看板より)

 

 

ということで多聞櫓内部の見学へと進みました。

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先ほどの門のちょうど真上あたり。ここを通行しようとする敵に槍を落としたという『槍落とし』です。

 

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重要文化財・千貫櫓 

 西の丸庭園の西南隅に建つ二層の隅櫓で、大坂城の正門・大手門を側面から防御する重要な位置を占める。多聞櫓とは土塀で連結している。
 千貫の名称は、その昔この地にあった石山本願寺織田信長が攻めたとき、この付近にあった櫓が難攻不落で「あの櫓を落とした者には千貫文与えても惜しくはない」と離していたことからその櫓を千貫櫓と呼ぶようになり、その後も大手の守りのかなめとなる重要なこの付近の櫓にその名が引き継がれたとされている。
 徳川幕府大阪城再築初期の元和6年(1620)に桂離宮などの設計で知られる小堀遠州によって創建された。昭和36年の解体修理のときに「元和六年九月十三日御柱立つ」の黒書の板が土台から発見され、創建年月日が明確になった。城内では乾櫓とともに最も古い物である。
 内部は一、二階とも武者走りと呼ばれる回廊がとりまき、その内側に4室ずつ天井板張部屋がある。一階の面積は約199平方メートル、二階は約143.32平方メートル。
 一階、二階とも武者走りには大手門と外堀対岸に向かって隠し銃眼が、また一階には石垣をよじ登ってくる敵に対する石落としの装置が見られる。
 なお、二階武者走りに格子ぶたの荷揚げ装置がみられるが、創建時から設置されたものか明治以降、軍部によって付けられたものか定かではない。
(内部説明板)

 

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千貫櫓は出口付近のこのレリーフが印象的でしたが、これはいったいなになのか? 

 

二の丸公園で真田丸イベントの準備を眺めつつ、六文銭たこ焼きをいただきました。

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内部見学三つ目。

重要文化財・焔硝蔵

 徳川幕府が、鉄砲や大砲に使用する焔硝(火薬)を保管した蔵で、現在の焔硝蔵は貞享2年(1685)に建造されたもの。焔硝蔵はそれ以前にも城内数カ所にあったが、青屋口にあった土蔵造りの焔硝蔵は万治3年(1660)に落雷を受けて大爆発を起こし、また別の場所にあった半地下式の焔硝蔵も部材の腐食による建て直しがたびたびされるなど、幕府は焔硝の有効な保管方法に苦慮していた。そうした課題を克服すべく、この焔硝蔵では耐火・耐久・防水に特に工夫がこらされ、床・壁・天井・梁【はり】をすべて花崗岩【かこうがん】とし、石壁の厚さは約2.4メートル、屋根の下は土で固められている。面積は約171.9平方メートル、高さは約5.4メートルで、こうした石造りの火薬庫はわが国では他に例がない。徳川時代大坂城には、西日本における幕府の軍事拠点として、焔硝の他にも大量の兵糧や武器武具が備蓄されていた。
(立て看板より)

 

 内部がなかなかにお洒落でした。

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外側

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かなり頑丈そうな火薬庫であります。

墨絵ライブを横目にみつつ、天守閣へと向かいます。

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あと鷹匠さんがいらっしゃいました!

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天守閣の下あたりにあった残念石。

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城内、城下、いろいろなところに石垣に使ってもらえなかった残念な石が放置されているらしくそれを探して歩くのもまた楽しそうであります。

 

さて、大阪城天守閣ではこの展示。
『特別展 真田幸村の生涯を彩った人たち』これがなかなかに充実した展示でした。

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なにより、どこへ行っても「複製」だった『大坂夏の陣図屏風』の原本がここに展示されていたのです。所蔵されている場所での展示、当然と言えば当然。そしてここには、その大坂夏の陣図屏風右隻の中央に描かれている真田隊と松平隊の激戦がミニチュアで立体的に再現されています。写真を撮ってもよかったと後で知ったので惜しいかなそのミニチュアの写真がありませんが、大阪城天守閣へ行くことがありましたら是非ご覧いただきたいです。大坂夏の陣図屏風の驚きの再現率!

さて、せっかく偶然ながらも真田丸イベントにかち合いましたので、真田昌幸こと草刈りさんのトークを見てから帰りましょうかと二の丸よりはちょっと遠い天守閣近くから見学させていただきました。

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スマホではこれが限界。でもお声はしっかり聞こえました。
では、おのおの抜かりなく」

さて、日も暮れて帰路につこうと桜門を出るとあるのが豊国神社。

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月下に佇む秀吉様のその陣羽織は、まさしく大河で見たアレですね!

 

ということで、大阪でもまた屏風を追いかけて充実した一日となりました。
合戦図屏風はいいぞ!