超高速!米沢日帰りの旅
『国宝 洛中洛外図屏風・上杉本』の原本が公開になると知り、スケジュール的にこれは行ける!と、急遽予定を変更して、超高速!米沢日帰りを決行いたしました。
米沢行くのは昔々スキーで天元台行ったな、そういば……というくらいの久し振り。
折しも東京は葉桜となった頃の東北ですから、当然のように満開に咲く桜!
綺麗でした!
お天気も良く上杉博物館のある『伝国の杜』は家族連れで賑わっておりました。
さて、上杉博物館。
『特別展 米沢中納言上杉景勝』に合わせて、一ヶ月だけの原本特別展示。
屏風見るためだけに新幹線に乗って日帰りする自分もどうかと思うけど大人ですから!
期待に胸膨らませ、いざ博物館へ。
屏風はちょっと離れて全体を見たい人ですが、洛中洛外図屏風に関してはガラスに張り付くくらいの距離で端から端まで細かく眺めたいものです。金雲に枠取りされた都生活の場面場面が詳細に繊細な線で描き込まれています。これは遠くから眺める為の屏風ではないのではないですかね。
東京の大々的な「特別展」ですと、行列がすごくてゆっくり立ち止まって眺めることもできず(最近ですと〝大 関ヶ原展〟の関ヶ原合戦図屏風とか)せわしない状況での鑑賞となるわけですが、今回の上杉博物館素晴らしい!人がいないわけではなく、そこそこ入館者もあるのですが空いているので何度も右端から眺め直し、ちょっと他の展示物を眺めてきてはまた戻りを繰り返すこと1時間近く館内にいましたので充分『洛中洛外図屏風』を堪能いたしました。幸せであります。
文書の展示も「秀吉から景勝へ〝政宗が蘆名家勝手に滅ぼしちゃったからなんとかしてね〟」などとなかなかに興味深い物が多く珍しく屏風以外もじっくり眺めてまいりました。
図録はありがたいです。洛中洛外図屏風の図録はまさか米沢まで行くことはないだろうと、かなり以前に通販で購入済でしたので今回の特別展だけでしたから荷物も重くない!
また、常設展示の方にあった『徒然草図屏風』六曲一双。初お披露目だったようで「徒然草」の各場面をちりばめた物語屏風。なかなかに雅でありました。
丁寧な調度品であることから上杉家伝来のものである可能性もあるそうです。
さて、洛中洛外図屏風を堪能した後はまだ日が暮れるまで時間もあり、あまり遠方でない周囲にある史跡を見ようとぶらぶら散策いたしました。
元々この伝国の杜が米沢城跡になるので上杉神社周りに堀が残っています。
博物館に一番近いところで『松岬神社』
松岬神社
明治三十五年に上杉神社から上杉鷹山を分祀し「松岬神社」と称し、大正元年に社殿を建立した。対象十二年に米沢藩初代藩主の上杉景勝を合祀、昭和十三年には景勝の重臣・直江兼続、鷹山の師・細井平洲、鷹山の藩改革を補佐した功臣・竹俣当綱と莅戸善政を合祀して、祭神は六柱となった。
社号は米沢城の別称「松岬城」に由来し、境内には鷹山が隠居した際、藩主治広に与えた藩主の心得三か条「伝国の辞」の石碑などが建つ。(神社前説明板より)
さらに、参詣で賑わう上杉神社へ
上杉神社の隣には宝物殿である稽照殿があり拝観。上杉謙信や景勝、直江兼続の甲冑や兜、昆の旗印などなど、え?本物?!というさりげなさで展示されています。上杉家の軍旗・紺地日輪の旗や兼続の「愛」ありましたが、兼続の「違い櫂と日輪」の前立てがどう見ても野球のバットとボールに見えて、一瞬オーパーツ?と思ってしまったのはここだけの話にしておきます。
謙信公の書状はと柔らかい筆跡の仮名書きで〝女性説〟があるのも頷けるものでした。
あと忘れてはいけません。複製でしたが『川中島合戦図屏風』が展示されていました。
上杉謙信祠堂(御堂)跡
江戸時代、上杉謙信の遺骸を安置した御堂(祠堂)が建っていた場所である。
謙信は天正六年(1578)三月十三日、越後春日山城で逝去、享年四十九であった。その遺骸は甲冑を着せ甕に納め、漆で密閉したと言われている。
その後、謙信の跡を継いだ上杉景勝が会津百二十万石、米沢三十万石に移封されるに伴い、謙信の遺骸も移され、米沢城南東隅のこの地に御堂を建て安置した。
謙信遺骸の左右には善光寺如来と泥足毘沙門像が置かれ、その後は歴代藩主の位牌も祀り、最も神聖な場所として厳重かつ鄭重に祀られた。
明治四年の廃藩に際し、仏式を改め神式とし、謙信は上杉神社の祭神として祭られる。謙信の遺骸は、同九年に歴代藩主が眠る御廟所(上杉家墓所)に移された。(祠堂前説明板より)
次にさらにぶらぶらと『上杉家御廟所』まで足を伸ばしました。
荘厳な上杉家の墓所であります。
さすが乱世の戦国時代から江戸時代、幕末を経て現代へと続く名家の墓所。厳かにしてただただ圧巻でありました。
上杉家墓所は、米沢では「御廟」または「おたまや」と呼ばれ、親しまれてきました。昭和五十九年(1984)一月十一日、全国の大名家墓所としては五番目に、国指定史跡として登録されています。
御廟は、東西約113m、南北約180mで、約二ヘクタールの面積を有し、柵の外側には、幅約3.6m空堀と土塁が廻らされています。江戸時代初期から後期までの歴代藩主の廟が一つの場所に並置されるのは珍しく、近世大名家墓所の代表とされています。
(パンフレットより)
法音寺・上杉家菩提寺
もうちょっとがんばって春日山林泉寺まで行きたかったのですが、如何せん足がない。タクシー拾えるかと思ったら全然走ってないし、レンタサイクルも駅まで戻らないとなさそうで、とにかく洛中洛外図屏風を見るんだ!という意気込みだけの無計画日帰りだったがゆえの〝近場だけ〟になってしまったのがちょっと残念。せめてレンタカーでも借りればよかった。
ということで大きな反省。
地方の史跡を回るときはタクシーは拾えないと思え!
よく歩きました。がんばった。
そして、とても有意義で楽しい一人旅でありました。