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金雲のすき間

合戦図屏風より愛を込めて

『戦国の陣形』を読みました

合戦図屏風・屏風 読書 感想

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一次資料を具体的に提示しながら理路整然と定説をひっくり返す新説は興味深かったです。合戦過渡期から徐々に陣形が成立していくようすもわかりやすく書かれていました。特に「八陣」の解釈や、「魚鱗の陣=びっしりの陣・鶴翼の陣=ばっさりの陣」というのは目から鱗。

しか〜し、私が興味を強く抱いたのはやはり陣形ではなく屏風だった!

表紙が川中島合戦図屏風(岩国歴史美術館所蔵)のものですからそっちかと思うでしょ。違うのです、関ヶ原合戦の新解釈からのぉ津軽屏風、妙に納得しました。

つまるところ関ヶ原合戦です。
新釈引用

西軍が布陣を整える前に秀秋の裏切りがあり、あっけなく勝敗が決したのである。

著者の新説によると、通説通りの布陣はなされないまま先に小早川秀秋離反の動きがあり、大谷隊陣所へと西軍が動いたところを小早川・朽木・小川・脇坂・赤座隊に挟撃され流動的に短時間で関ヶ原合戦は終了したのではないか。

この解釈から考えると、江戸時代後期に軍記物を手本として描かれた各武将が勇ましく戦場を飾る関ヶ原合戦図屏風のような場面は存在しないということになります。
果たしてこれはどういうことか。

ここで、関ヶ原合戦図屏風の中で唯一〝合戦直後〟に描かれたと伝わる津軽屏風の構成を確認してみましょう。
右隻・赤坂:東軍陣営、大垣城:西軍陣営
左隻・敗走する西軍兵
なぜか合戦ど真ん中の描写がなく、また弘前藩の史料『藤田氏旧記』によるとかつては八曲二双あったとも伝わるため、失われた一双がありそこに合戦場面があったのではないかという説もあります。(元々八曲一双、という説も当然あります)
が!
著者の説の通りの展開であっさり合戦が終わったとすると津軽屏風八曲一双の構成で関ヶ原合戦図は全て語られたことになり、幻の一双がなくともなんの不自然さもないということになります。

私たちがドラマや小説でよく目にしている関ヶ原合戦は逸話や伝説が後世に付されたものとすると〝合戦直後〟に描かれた屏風の構成が納得いくものとなる。

 

いやぁどうしよう。
諸説あります。史料の解釈によって様々な捉え方があるのは充分理解していますが、こう気持ちよくカチッとハマると唸らざるを得ない。

知れば知るほど歴史って面白いですよね。