金雲のすき間

合戦図屏風より愛を込めて

『戦国のゲルニカ「大坂夏の陣図屏風」読み解き』を読みました

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重要文化財大坂夏の陣図屏風』は歴史の大きな境目となる大合戦の「大坂夏の陣」を描いた六曲一双の大きめな屏風です。黒田家伝来の為、通称「黒田屏風」と言われています。

合戦図屏風で「重要文化財」指定されているのは、この『大坂夏の陣図屏風』と『関ヶ原合戦図屏風』の津軽本の2点だけで、共に製作時期が合戦直後であり、歴史的にも美術的にも価値が高いと言われています。

大坂夏の陣図屏風』は右隻に合戦に参戦した武将達と合戦の様子、左隻には逃げ惑う庶民や敗走兵を襲う徳川軍の様子が描かれています。合戦〝大坂夏の陣〟が語られるとき取り上げられるのは右隻であり、第六扇に描かれた大坂城めざし金雲の間にひしめき合う徳川軍とそれを迎え撃つ豊臣軍がメインとなります。しかし、この本で中心となり解説されているのは左隻に描かれている非戦闘員である一般庶民の悲惨な戦災の状況です。これが「戦国のゲルニカ」と言われる由縁となります。

本の中では、合戦の中心と離れた場所で発生していたその凄惨な描写が細かく解説されています。

他の江戸時代後期に量産された合戦図屏風が「祖先の勇姿を晴れ晴れしく表す」ことを目的とされていたことに対し、この『大坂夏の陣図屏風』は勝者である徳川家を讃えるものでも滅亡した豊臣家への哀悼でもなく城下の人々全てが巻き込まれたリアルな合戦のようすです。

この屏風の制作者(一説では黒田長政)はいかなる理由でこのような悲惨な合戦の状況を屏風という形で描き残したのか、400年も遡ってその心情を知ることは難しいことではありますが、両軍合わせて30万人、さらに罪のない大坂城下の市民30万人が巻き込まれた大決戦を冷静に後世に伝えることが務めと考えたのかもしれません。

敗戦した豊臣側ではなく徳川方がこの屏風を作ったということが感慨深いところであります。

大坂夏の陣図屏風を深く知りたいと思われましたらオススメの一冊です。