金雲のすき間

合戦図屏風より愛を込めて

賤ヶ岳七本槍を合戦図屏風から考える

賤ヶ岳合戦図屏風も関ヶ原合戦図屏風同様に写しが多々有り、さらにちょっとずつ内容が違うという複雑怪奇な様相を呈しております。

屏風によって〝七本槍〟のメンツが違う。なぜなのか。

ということで、ちょっと賤ヶ岳合戦図屏風について調べてみました。

  

現存する賤ヶ岳合戦図屏風はというと 

大坂城天守閣 甲本
馬の博物館 大阪城甲本の写本
佐藤博物館 大阪城甲本の写本 

 

大阪城天守閣 乙本(甲本の簡略版)
市立長浜城歴史博物館 大阪城乙本と同系の写本
南蛮文化館 大阪城乙本と同系の写本
勝山城博物館 大阪城乙本と同系の写本 

 

岐阜県立博物館 独自の図様

 

岐阜県個人蔵 独自の図様

 この辺りのようです。

 

賤ヶ岳合戦での活躍により感状を授受した武将です。

福島正則
加藤清正
加藤嘉明
片桐且元
糟屋武則
脇坂安治
平野長泰
桜井佐吉
石河平助

九人いますが桜井と石河は討死しているので残る七人が〝七本槍〟とされています。

 

ところがです。

大阪城甲本 

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福島正則を除き、桜井佐吉を入れての七本槍となっています。
では正則どこにいるのかと探すと……

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もう既に一番槍の一仕事終えて武功の首持って秀吉様の下へと馳せ参じているところなのです。

 

対して、岐阜県立博物館

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桜井の代わりに福島が入っています。

 

なぜこのような齟齬が発生してしまったのか。

それは合戦図屏風の元ネタの違いからということのようです。
大阪城天守閣甲本は『川角太閤記』、岐阜本は『賤ヶ岳合戦記』を元に描かれていると言われています。

 

ちょっと七本槍から話がずれますが、

『川角太閤記』は紀州藩初代藩主徳川頼宣に仕官した川角三郎左衛門宗直が、主君の諮問に応えて提出した秀吉に関する聞書を元に成立した軍紀と推測される。この書は幕末に至るまで世に流布した形跡がないので、江戸時代前期に成立した大阪城甲本は、紀州徳川家の周辺で製作された可能性が高い。

高橋修編著(2004)『歴史群像シリーズ特別編集 決定版 図説・戦国合戦図屏風』学習研究社

屏風に描かれた内容から制作の推測まで進むのは驚きです。

 

本来九人が感状を授受するほどの活躍を見せた合戦ですから本来九本槍が正しいのかと思われますが、どうもこの屏風が制作された時代には〝七本槍〟が流行していたらしくよく見ると、岐阜本には柴田側の七本槍も書かれています。また、姉川合戦図屏風にも〝姉川七本槍〟が描かれており、もしかしてもしかすると〝七本槍〟は現代の◯◯レンジャー的な戦隊物の原型なのではないでしょうかね。